アトリエの入口にあるささやかな植栽スペースに植わっているノリウツギというアジサイ科の植物。初夏を迎える頃、淡い緑の輪郭をまとった白く美しい花弁の群れを咲かせます。夏の間咲き誇った後、徐々に茶色く朽ち、秋口に入る頃には枯れた花は摘み取られ、すべての葉が落ち、枝だけの状態に。翌年の夏まで、巡る季節のほとんどを枯れ木のような姿で過ごすことになります。
底冷えた真冬の朝に水をやっていると、ふと思うのです。もはや枝しか残っていないこのノリウツギは、実はもう枯れてしまっていて、次の夏がやってきても葉も花もつけないのではないだろうかと。
私淑していた哲学者の方が「コミュニケーションというのは、いつも無償のもの(=片方向)だ。帰ってこない(=返ってこない)から、配慮、無償の配慮が存在する」とよくおっしゃっていました。こうして寒さに耐えながら植栽に水やりをしていると、不思議とそのことが腑に落ちます。
毎日のように水をやっていても、仮に水やりをサボったとしても、ノリウツギは何も言ってきません。ただ枝のまま立っているだけ。それでも毎日のように(冬の間はすこし頻度が落ちますが)水をやり続けます。感謝も文句も言わず沈黙を貫いているそれが、次の夏、また葉をつけ美しい花を咲かせるからです。枯れ木の私に水をやり続けてくれてありがとう、と言わんばかりに瑞々しく。
同じことをオンラインストアでの販売にも感じることがあります。お客様の顔が見えないのはもちろん、メールでの連絡もこちらから連絡を差し上げることがほとんど。もちろん、メッセージをくださる方も多くいらっしゃいますが、基本的には沈黙している(反応のない)お客様に向けてご連絡を差し上げ、商品をつくり、お届けしています。
不思議なことにお客様が沈黙していればいるほど、こちらは相手のことを考えずにはいられません。私たちとのやりとりに、商品に、お客様は果たして満足しているのだろうか。こうすればもっと喜んでいただけるのではないだろうか。PCディスプレイのその先でお届けした商品を実際に身に着けていらっしゃるお客様の姿を想像しながら、試行錯誤を重ねています。
時折、「もう何年も肌身離さず身につけています」とおっしゃってくださるお客様にばったりと出会ったりして、胸を撫で下ろすのです。