アトリエ近くを流れる生田川。気が付けば春が過ぎ、川沿いの桜並木もすっかり瑞々しい緑に包まれています。静かに流れる川を眺めていると、時折時間が経つのを忘れて眺め入ってしまうことがあります。その美しさはどこからやってくるのでしょう。
澱みなく静かに流れ続けることで、水は清らかさを保ち、そこに住まう生き物たちを潤す。けれど、流れが滞り、澱みが生じれば、水は少しずつ濁り、生き物たちは姿を消し、やがては不快な匂いさえ漂い始めます。流れ続けること自体が美しさをつくり出しているのかもしれません。
一方、私たち人間の身体のなかでは、日々細胞が真新しく入れ替わっています。数日も経てば、細胞的には別人と言えるくらいに。川も人も「流れ」の中にあるわけです。その流れが澱んだり、せき止められたりすれば、不具合を起こすのも想像に固くありません。
私たちが日々携わるものづくりにおいても、「澱み」にはいつも気を配らせています。変化を恐れ、同じ場所にとどまり続ければ、やがて心や考えは徐々に凝り固まってくる。新しい刺激や価値観が入ってこないままでは、視野は狭まり、感性は鈍り、活力も失われていく。いつの間にか、関わる人たちとの間にも、言いしれぬぎこちなさが漂い始めます。振り返ってみれば、何かがうまくいかないと感じていた時期には、大抵何らかの澱みを抱えていたように思います。
新しいプロジェクトを立ててみる。これまでと違った方向性のデザインを思案してみる。停滞を感じることがあれば、その澱みを解消するために、あえて居心地のよい場所からはみ出してみるよう心がけています。
もちろん、常に動き続けるのは容易なことではありません。疲れてしまったり、少し休みたくなる時だって当然あります。けれど、短い休息と澱みとは本質的に異なるもの。立ち止まることで、進む方向を軌道修正したり、次へと進む力自体を養うこともできるでしょう。ただ、そこに長くとどまっていてはやがて水が濁ってきてしまいます。
変化を恐れず、好奇心を持って日々を新しくしていくこと。小さな一歩でも前へ進もうとすること。そんなことに思い巡らせながら、澱みなく清らかな川の流れに目をやると、そこに意志があるように感じられて不思議な感覚を覚えるのです。