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[ Note ] 病室の窓から覗く青い海

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先日、祖母が倒れたとの連絡があり、搬送された病院へ向かいました。海辺に建つ小さな病院を2階に上がった病室の窓からは海が見渡せます。もう9月だというのに夏真っ盛りと言わんばかりに青々とした空にきらきらと青い海。病室から覗くにしてはあまりにも生命力に満ちた風景にふと宮沢賢治の詩を思い出しました。

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眼にて云ふ


だめでせう
とまりませんな
がぶがぶ湧いてゐるですからな
ゆふべからねむらず血も出つづけなもんですから
そこらは青くしんしんとして
どうも間もなく死にさうです
けれどもなんといゝ風でせう
もう清明が近いので
あんなに青ぞらからもりあがって湧くやうに
きれいな風が来るですな
もみぢの嫩芽と毛のやうな花に
秋草のやうな波をたて
焼痕のある藺草のむしろも青いです
あなたは医学会のお帰りか何かは知りませんが
黒いフロックコートを召して
こんなに本気にいろいろ手あてもしていたゞけば
これで死んでもまづは文句もありません
血がでてゐるにかゝはらず
こんなにのんきで苦しくないのは
魂魄なかばからだをはなれたのですかな
たゞどうも血のために
それを云へないがひどいです
あなたの方からみたらずゐぶんさんたんたるけしきでせうが
わたくしから見えるのは
やっぱりきれいな青ぞらと
すきとほった風ばかりです。

(底本:「宮沢賢治全集2」ちくま文庫、筑摩書房)

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見舞った祖母は幸い大事には至らず、肌つやもよくかなり快復した様子でした。検査結果も良好ですぐに退院できるとのこと。ひと時病室から覗いた青い海の景色を、またいつか思い出すかもしれません。

[ Note ] 「人の品性」について

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近頃、「人の品性」について思いを巡らすことが増えました。自身はもちろんcobacoというブランドにおいても「品よく」ありたいと思いながら日々運営しています。

「品性」と言っても、「高貴さ」や「品格溢れる」といった大層なものではなく、どちらかといえば「気持ちのよい立ち居振る舞い」といったニュアンスでしょうか。人と人との関わりにおいて「相手を慮ること」。そのことがコミュニケーションの前提にあると感じられる立ち居振舞いに品性を感じます。

言うは易し、行うは難し。忙しくなると、ついつい心の矢印が自分の方にばかり向いてしまい、誰かとコミュニケーションをとる場面においても、相手(の心境など)に目が行き届かず、雑な振る舞いをしてしまいがちなのですが。

先日、「気持ちのよい立ち居振る舞い」のお手本のような清々しいエッセイに出会いました。彬子女王による留学記『赤と青のガウン』です。4月に文庫化されたのを機に、この頃あらためて話題になっているようです。

留学なされていたオックスフォード大学でのさまざまなエピソードが描かれているのですが、その中心にはいつも人(相手)がいます。いずれのエピソードもたしかに自身にまつわるエピソードなのですが、友人や担当教授、寮の人たち、家族など、目線の先にいつも身近な「相手」がいて、読み手に彼らのキャラクターをしっかりと感じてもらいたいという思いが端々からにじみ出ているのです。まさに「相手を慮ること」が前提にあると感じられるエピソードばかり。忙しくて視野が狭まっていると感じる度に読み返すことになりそうです。

[ Note ] 窓辺に猫

我が家には4匹の猫が暮らしています。

見た目は気品溢れる美人だが、ちょっと気に食わないことがあるとすぐにパンチを繰り出してくる凶暴性を持ち合わせている長女。24時間隙があらば飼い主の膝、脇、腹に乗りかかってこようとする甘えん坊が過ぎる次女。「アイドルグループのセンターこそが私のポジション」と信じて疑わず、可愛さをこれでもかと振りまいてくる(押し付けてくる)自己肯定感の強い陽キャな三女。飼い主の言葉にも耳を傾ける聡いところがある一方、いつもと違うことがあるとすぐにパニックになってしまうビビリな一面もある末っ子長男。

彼らと暮らしていると、努めて個性的であろうとせずとも、皆おのずからユニークな存在なのだと気付かされます。そして、ともに暮す時間が長くなればなるほど、距離が近づけば近づくほど、新しい一面を見せてくれます。先日は末っ子長男が新しい居眠りポーズ(ちょうど阿波おどりのようなアクロバティックなポーズ)を披露してくれました。

そういえば近ごろ、長女がお気に入りの窓辺にいるのをあまり見かけなくなりました。すこし高い位置にあるその窓辺に何度か飛び移ろうとは試みるものの、結局億劫になって諦めてしまっている様子。10歳を超えて脚力に自信がなくなってきたのかもしれません。近々、窓辺の壁にステップを設けようかと考えています。窓辺に彼女がいるいつもの風景がまた戻ってくるように。

[ Note ] クワイエットラグジュアリー

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近鉄奈良駅から奈良公園の方へと10分ほど歩を進めると、春日大社の本殿へと続く参道のはじまりである一之鳥居が姿を現す。本殿までおよそ1.3kmの道のり。進んでいくほどに参拝客の姿もまばらになり、通り抜ける風は冷ややかになり、静けさが増していく。それだけでも十分に霊性を感じる場なのですが、本殿を一周ぐるっと囲う回廊の東外に位置する「御蓋山浮雲峰遙拝所 (みかさやまうきぐものみねようはいじょ)」で思わず息を呑みます。

回廊の外側だからというだけでは説明のつかない、張り詰めた静謐さがそこにはあったのです。つい先ほどまであたりにいたはずの参拝客の話し声はもちろん、その気配までがすっと消え、まるで街の喧騒の只中でノイズキャンセリングしたような「静けさ」だけが残った不思議な場でした。

聴けば、春日大社の裏山でありかつ「神の山」としてこれまで約1300年に渡り深い信仰の対象となってきた「御蓋山(みかさやま)」へ向けて祈りを捧げる空間となっているのだとか。「禁足地」として原則一般参拝者は立ち入ることが許されない御蓋山に最も近づくことができる場所だと言います。

日々さまざまなノイズに晒されて過ごしているからか、神聖な場で出会った静謐な時間/空間は、非常にラグジュアリーな体験に感じられました。

[ Note ] 「つなぎ合わせる」を担ってきた道具

甲府の工房を訪れると、職人の作業台に所狭しと並んでいる彫金道具の数々。職人の方とやりとりをする傍ら、それらを眺めるのがひとつの楽しみになっています。用いる職人の手になじむよう柄を削ってあるハンマー、用途や番手違いで何十本と使い分けられている鑢(やすり)…機能性を追い求め、職人たちによってかたちづくられてきた道具にはある種の美しさが宿るように感じます。

Staple|collection|cobaco


奇しくも新作コレクション「Staple」で私たちが着目したのは大工職人が扱う工具のひとつ「鎹(かすがい)」でした。2つの材木をつなぎとめるために打ち込む、コの字型のくぎ。朝鮮半島から持ち込まれた木材を固定する技術で、国内でも古墳時代から用いられてきたものだと言います。古来から「つなぎ合わせる」を担ってきた道具。つなぎ合わせるものを木材から天然石と金属に置き換えてみるところから今回のコレクションははじまっています。職人が用いる道具の美しさ、そして彼らのクラフトマンシップに対する畏敬の念が「鎹(かすがい)」と出会わせてくれたのかもしれません。

[ Note ] 春になると思い出す言葉

[ Note ] 春になると思い出す言葉|cobaco

先日のアトリエオープンデーでお客様から教わったパン屋へ向かう道すがら、あたりに目をやるとちらほら桜の花が咲きはじめていました。さらに歩をすすめると、今度は沈丁花の香りが鼻をかすめます。近ごろ寒い日が続いていたせいかまだまだ冬気分だったけれど、知らないあいだに春が足元までやってきていたんですね。この季節になるといつも星野道夫がアラスカのフェアバンクス滞在中に綴ったエッセイの一節を思い出します。(なぜだか夏にではなく、春に)

「頬を撫でてゆく風の感触も甘く、季節が変わってゆこうとしていることがわかります。(中略)人間の気持ちとは可笑しいものですね。どうしようもなく些細な日常に左右されている一方で、風の感触や初夏の気配で、こんなにも豊かになれるのですから。」(星野道夫『旅をする木』文春文庫、1999)

近ごろ「些細な日常」に振り回されて、あたらしい季節の気配にすら気づけずにいました。スマホの画面をどれだけ繰っても沈丁花の香りはしてこないし、あの場所に咲く桜の花にも出会えない。SNSから流れてくる春で済まさず、わたしに直に触れてくる春を、今年はしっかりかみ締めようと思います。

[ Note ] 小さくも大きい1mmの世界

[ Note ] 小さくも大きい1mmの世界

ジュエリーのような世界にいると「1mm」という単位は決して小さくありません。たった1mm違うだけで、繊細に見えたり、品が感じられたり、逆に粗野な印象に転んだり。大きく印象が変わってくるから不思議です。ちなみに「Gold Ring_plain(narrow)」をはじめ、cobacoの多くのリングがおよそ1mm幅。リング幅2mmとなると、わたしたちのブランドではもうマリッジリングのカテゴリになってきます。

さきほどもすこし触れましたが、今春に控えたパッケージリニューアルに向けていま準備を進めています。デザインをお願いしているデザイナーの方とやりとりをしていたら、パッケージのある部分について「12mm」がよいか、それとも「13mm」の方がよいかという話があがりました。ここでも「1mmの違い」です。一方はすっきりとした佇まいに感じられ、もう一方はバランスがよく安定感があり、やや力強さのようなものすら感じる印象。最終的に「12mm」に落ち着きました。

感覚の襞(ひだ)へと分け入るように小さな違いに目を凝らしてつぶさに観察していく。すると想像よりもはるかに豊かな世界が見えてくる。この世界に身を置かなければ、その楽しさに気づくこともなかったかもしれません。(まぁ、投げ出したくなるときもありますが…)

[ Note ] 平穏無事を祈る心

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いつもお世話になっているloji flowerさんでお迎えした正月飾りを今年もアトリエの玄関口に飾りました。しめ飾りひとつ加わるだけで心が洗われるというか、清らかな気持ちになるから不思議です。

五穀豊穣の神である年神様(としがみさま)をお迎えするために稲わらを編んでつくったしめ縄、不浄を清める意味をもつ水引、長寿を願う縁起物である若松やウラジロ、ヒカゲカズラ…よくよくひも解いてみると、ひとつのお飾りのなかに日本人が大切にしてきた文化がたくさんつまっていることが垣間見れて興味深いです。

実質2週間ほどしか飾られないにも関わらず、年始の風習としてこれまで残ってきたわけですから「平穏無事に新しい年を迎えたい」と願う気持ちはその昔から変わらないのでしょうね。年始早々大変なことが続いている今年は特に、平穏無事であることの大切さを痛感させられます。

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この度の能登半島地震により犠牲となられた方々に深く哀悼の意を表するとともに、被災されたみなさま、また、ご家族・関係者のみなさまに心よりお見舞い申し上げます。被災地域のみなさまの安全と、一日も早い復興をお祈り申し上げます。

[ Note ] 文質彬彬たろうとする姿勢

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文質彬彬(ぶんしつひんぴん)

装いや立ち居振る舞い、言葉使いといった外見的な美しさと自身の内面の実質との調和がとれているさま。

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オンラインストアリニューアルに際し、あたらしいブランドコンセプトコピーをお願いしたコピーライターの方からのご提案で出会ったのが、この言葉でした。私たちが目指しているものをすくい取ってくださった思いがして、すっかりお気に入りの言葉になっています。

批評家の吉本隆明は「現在の自分」と「なりたい自分」のあいだで交わされる問答こそが最も価値のあることなんだ、と説きました。理想の自分に近づくのにいま私はなにをすればよいのだろう?と自分自身に何度も問いかけることこそが豊かさを生むのだと。装いを変えてみたり、言動を変えてみたり、いろいろと試行錯誤するなかで、外見と中身がすこしずつ釣り合っていくわけです。その問答の往来のなかで、人はうつくしい佇まいを得るのではないでしょうか。文質彬彬である」ことが重要なのではなく、文質彬彬「たろうとする」こと、つまり、そこに至るプロセスこそが大切なのだと思うのです。

あたらしいブランドコンセプトである「うつくしい日々の予感。」の「予感」からは「文質彬彬たろうとする」姿勢を感じ取っていただけるのではないかと思います。わたしたちのジュエリーが、身につける人にとって「なりたい自分」に近づくためのひとつのきっかけになることを願いながら、これからもジュエリーづくりに取り組んでいこうと思います。