
「わたしの心は穏やかだ。」
美学者キム・ジニョンが死の直前に残した言葉です。
紙幅を余すように印字されたその一文を読んだとき、しばらくページを閉じることができませんでした。
穏やかであること。それは簡単なようでいて、とても難しい。いまのような時代においてはなおさら、です。
日々を生きていると、心は絶えず揺れ動きます。期待や不安、怒り、焦り、後悔。自分では制御しきれない感情に引っ張られながら、なんとか均衡を保とうとしている。だからこそ、どのようにして人生の最後に「穏やかだ」と言い切れる心持ちに至るのか。そのことが、強く心に残りました。
キム・ジニョンの遺稿集『朝のピアノ』は、がんを告知されてから亡くなるまでの日々を綴った日記です。
そこには、静かな受容だけが記されているわけではありません。戸惑いや悲しみ、怒り、諦めきれなさ。感情は何度も揺り戻され、そのたびに言葉として書き留められていく。
けれど、読み進めるうちに、少しずつ変化が訪れます。
当初は長い文章だったものが、次第に短くなっていくのです。エッセイのようだった文体は、やがて断章になり、最後には数行の詩のような言葉だけが残る。
まるで、余分なものが静かに削ぎ落とされていくように。あたかも魂が静かに身体を離れていくかのように。言葉は徐々に短くなり、輪郭を失いながら、より深い場所へ沈んでいく。その過程が、美しかったのです。
人は、ある瞬間に突然終わるだけではないのかもしれません。肉体に留まりながら、少しずつ遠ざかっていく。輪郭がゆるやかにほどけていく。『朝のピアノ』には、その静かな移ろいが記されていました。
本を閉じたあと、ふと考えました。
人生の最後、私は何を思うのだろう、と。
その答えはわかりません。ただ不思議と、それは案外「いま」の風景なのかもしれない、と思ったのです。
家族と交わした何気のない会話。アトリエの窓から差し込む夕方の光。リビングのソファでうたた寝をしている猫の静かな寝息。湯気の立つ食卓。忙しさのなかで見逃してしまいそうな、ささやかな日々。
そういったものが、あとになって、「あぁ、あれでよかったのだ」と思い返されるのかもしれない。あるいは、そう思えたらいい、と願っているのかもしれません。
その日がいつ訪れるのかは、まだわかりません。ただ、その日を少しだけ楽しみにしている自分がいます。






















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