
荒れる海で、兵士たちが必死に船を漕いでいる。オールを引く腕に隆起する筋肉。浮き出す血管。歯を食いしばり、力を振り絞るその表情。
座って観ているだけなのに、気が付けばこちらの身体まで力が入っていました。
クリストファー・ノーラン監督の映画『オデュッセイア』の一場面です。神話の世界の物語であるはずなのに、身体の重みや苦しさが、スクリーンを越えて迫ってきます。
CGを極力使わず実写とカメラ効果にこだわって撮影されたという本作。撮影では実際に海へ船を出し、俳優たちも漕ぐことを学んだと言います。その圧倒的なリアリティを前にしながら、なぜか自分たちの仕事を重ねていました。
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「AIにいろいろな仕事を任せられるようになった。」そんな話を見聞きするたびに、私たちの仕事は、なんて非効率なのだろうと思います。
ジュエリーのデザインひとつをとっても、そうです。紙の上でどれだけかたちを詰めても、立体にしてみると、どうもしっくりこない。原型をつくり、時には完成品のサンプルまでつくって、それでもまた原型に戻る。
その違和感を、すぐに言葉にできるとは限りません。それでも見過ごせず、もう一度、手を動かす。つい先日も、2年前に頓挫したリングサンプルを引っ張り出してきて、またつくりはじめました。
もちろん、やり直した回数だけ、よいものができるわけではありません。時間もお金もかかりますし、もう少しうまくできないものかと、いつも思います。けれど、頭のなかだけでは見えなかったものを確かめるには、いまのところ、こうするほかないのです。
お客様とのやりとりにも、似たところがあります。
オンラインストアに届くメールには、いまもすべて自分たちで目を通し、返信しています。以前にもご利用くださった方なら、過去のやりとりを読み返すことも。何かひと言、添えられないだろうか。そう考えているうちに、思いのほか時間が過ぎています。
かたちを確かめることと、誰かに宛てて言葉を書くこと。異なる仕事ですが、どちらも手を動かすなかで気づくことがあります。
ただ要領が悪いだけではないか。手間をかけているという事実に、安心してしまってはいないか。そんなふうに思うこともあります。
それでも、手を動かして初めて気づいた違和感や、書き連ねながら見つかった言葉まで、省いてしまいたくはないのです。
仕事に身体性が宿るとすれば、そういうところなのかもしれません。目や手を働かせるうちに、考えているだけではたどり着けなかった細部が見えてくるようになる。その過程で、仕事にも少しずつ手触りが生まれてくる。そして、その手触りが相手にも伝わっていくのではないか。そう信じたい気持ちがあります。
スクリーンのなかで、兵士たちは必死に何度もオールを引いていました。その姿は、しばらく忘れない気がします。