
一年の半分近くを山で過ごし、鳥たちの行動を観察する生活を何年も続けている研究者がいます。彼には鳥たちの言葉が"わかる"のだといいます。長い年月、鳥の鳴き声に耳を傾け続けるうちに培われた身体感覚によるものなのでしょう。
いつか読んだインディアンの血が流れる男の子の物語をふと思い出しました。チェロキー族の祖父母に引き取られた少年は、深い森で暮らすうちに木々の呼吸や動物の心を感じ取れるようになっていく──言葉に頼らず世界と対話する感覚が、いつしかその身に宿る。研究者の静かな確信にも、同じ「身体化された理解」が宿っているように思えます。
身体ひとつで森へ分け入り、双眼鏡と小型レコーダーというごくありふれた道具だけを頼りに、鳥の視点を自身の身体を通して“翻訳”していく。何千時間という膨大な時間を重ねるうち、鳥の鳴き声に「単語」と「文」があること、語順を入れ替えると意味まで変わることを彼は突き止めます。言語は人間固有の能力だとするこれまでの"常識"を揺るがす、驚きの発見です。
最先端の技術や道具を用いるわけでもなく、この身一つで研究を重ね、世界的な常識を塗り替える成果へと至る──彼の活動姿勢に触れると、「情報が洪水のようにあふれる時代にまだ誰も手を付けていないアイデアなんて存在するのか」という不安が、ふっと剥がれ落ちます。まだ名の付けられていない価値は、手の届く半径に潜んでいる。そんな希望が芽生えるのです。