先日のアトリエオープンデーでお客様から教わったパン屋へ向かう道すがら、あたりに目をやるとちらほら桜の花が咲きはじめていました。さらに歩をすすめると、今度は沈丁花の香りが鼻をかすめます。近ごろ寒い日が続いていたせいかまだまだ冬気分だったけれど、知らないあいだに春が足元までやってきていたんですね。この季節になるといつも星野道夫がアラスカのフェアバンクス滞在中に綴ったエッセイの一節を思い出します。(なぜだか夏にではなく、春に)
「頬を撫でてゆく風の感触も甘く、季節が変わってゆこうとしていることがわかります。(中略)人間の気持ちとは可笑しいものですね。どうしようもなく些細な日常に左右されている一方で、風の感触や初夏の気配で、こんなにも豊かになれるのですから。」(星野道夫『旅をする木』文春文庫、1999)
近ごろ「些細な日常」に振り回されて、あたらしい季節の気配にすら気づけずにいました。スマホの画面をどれだけ繰っても沈丁花の香りはしてこないし、あの場所に咲く桜の花にも出会えない。SNSから流れてくる春で済まさず、わたしに直に触れてくる春を、今年はしっかりかみ締めようと思います。